IE9ピン留め

スノードロップについて調べてみました。

こんにちは。上田知樹です。今回も、「上田知樹の宅建チャレンジ日記」についてお話させていただきます。
今日はスノードロップについて。
スノードロップは球根で育つ花ですね。
冬の終わりから春先にかけ花を咲かせ、春を告げる花として知られています。
花は白で、3枚ずつの長い外花被と短い内花被を持つ六弁花。いくつかの種では内花被に緑色の斑点があるのだとか。
修道院の跡地などに自生していることが多いそうです。スノードロップは聖燭節との関係が深く、修道院の庭でよく育てられていたのだとか。聖燭節の日にスノードロップをボウルに集積して家に持ち帰ると、家が清められるという言い伝えが、イギリスのヘリフォード・ビーコン近隣で伝わっているみたいですよ。自生地はイギリスとされていますが、修道僧がイタリアから持ち帰ったものが定着したとも考えられているそうです。エデンを追われたアダムとイヴをある天使が励ました際、降っていた雪を天使がスノードロップに変えたという伝説があるのだとか。
夜になると花を閉じ、昼間吸収した温かい空気を保管するみたいです。
スノードロップ、前に見かけたことがありますが、可愛い花だと思います。
では。上田知樹でした。

# by ue0315 | 2012-01-17 16:21 | Comments(1)

『マッピー』用ボーダー

暖房器具

「上田知樹の宅建チャレンジ日記」です、こんにちは。
今回は、暖房についてお話させていただきます。暖房は、室内を暖めて温度を上げる行為の総称ですね。冬の寒冷な季節に行われます。日平均気温が10℃以下に下がると、暖房を行う人が多くなるのだとか。例えば東京では、毎年11月下旬頃から翌年3月中頃までが暖房期間とされているそうです。
古くは、古代ローマでハイポコーストが用いられていたのだとか。朝鮮半島にも似た方式のオンドルがあり、いずれも火で暖めた空気を床下に通すことで暖房を行っていたようです。
1700年代中ごろには、イギリスで蒸気暖房が初めて使われたのだとか。1800年代後半になると、アメリカで鋳鉄製ボイラーが製造され、暖房技術の発展が進んだそうですね。
日本では明治以降に様々な方式のストーブが製造されたそうですが、住宅の気密性が低いことから、一般家庭では火鉢やこたつが使われ続けたようです。部屋全体を暖める暖房器具が普及するのは、第二次世界大戦後のことなのだとか。
暖房にも色んな歴史があるんですね。興味深いです。
それでは今日はこの辺で。失礼します。

# by ue0315 | 2011-12-21 11:55 | Comments(1)

『マッピー』用ボーダー

上田知樹とハロウィンの歴史について

上田知樹です、こんにちは!
今回は、10月31日ということで、ハロウィンの歴史についてお話させていただきます。
ハロウィンを伝えたとされる古代ケルトのドルイドの信仰では、新年の始まりは冬の季節の始まりである11月1日のサウィン(Samhain) 祭だったそうです。ちょうど短い日が新しい年の始まりを示していたように、日没は新しい日の始まりを意味していたんですね。したがって、この収穫祭は毎年10月31日の夜に始まったのだとか。アイルランドと英国のドルイド祭司たちは、火をつけ、作物と動物の犠牲を捧げたんだそうです。また、ドルイド祭司たちが火のまわりで踊るとともに、太陽の季節が過ぎ去り、暗闇の季節が始まったのだとか。
11月1日の朝が来ると、ドルイド祭司は、各家庭にこの火から燃えさしを与えます。各家族は、この火を家に持ち帰り、かまどの火を新しくつけて家を暖め、「妖精」(「シー (Sith) 」と呼ばれる。女の妖精はバンシーと呼ばれた)などの悪霊が入らないようにするんだそうです。というのも、1年のこの時期には、この世と霊界との間に目に見えない「門」が開き、この両方の世界の間で自由に行き来が可能となると信じられていたからなのだとか。
祭典ではかがり火が大きな役割を演じたのだそうです。村民たちは、屠殺した牛の骨を炎の上に投げ込みます。かがり火が燃え上がると、村人たちは他のすべての火を消したんだそうです。その後、各家族は厳粛にこの共通の炎から炉床に火をつけたんですね。アイルランドでは10月最後の月曜が祝日となっており、ハロウィンを祝う習慣が最も純粋な形で残っているのだそうです。この祝日に続く週は、学期の半ばであるがすべての学校が休みになり、一般にハロウィーン休みと呼ばれるのだとか。
ハロウィンの習慣は、イングランド南部では17世紀以降、11月5日の火薬陰謀事件の記念日(ガイ・フォークス・デイ)に置き換わり、廃れました。しかしながら、スコットランドおよびイングランド北部においては広く普及したままですね。
ハロウィンの起源がこういうお祭りだったとは知りませんでした。どちらも面白そうですね。

# by ue0315 | 2011-10-31 12:25 | Comments(1)

『マッピー』用ボーダー

皿屋敷についてと上田知樹

こんにちは。上田知樹です。今日も上田知樹が調べた様々なことをここで書かせていただきますね。
今回は、皿屋敷についてお話させていただきます。
皿屋敷は、お菊という女性の亡霊が皿を数える怪談話の総称ですね。
播州(現・兵庫県)姫路市が舞台の『播州皿屋敷』、江戸番町が舞台の『番町皿屋敷』が広く知られていると思います。他に北は岩手県滝沢村・江刺市、南は鹿児島県南さつま市まで日本各地において類似の話が残っているのだそうです。江戸時代にはこれらの話が浄瑠璃・歌舞伎の題材とされていたみたいですね。
江戸時代に書かれた皿屋敷関連の著作を総合すると、その基本形は以下のようなものになるそうです。

1.ある奉公娘が主人の秘蔵するひとそろいの皿のうち一枚を割ってしまう。あるいは、その娘に恨みを持つ何者かによって皿を隠される。
2.娘はその責任を問われて責め殺されるか、あるいは自ら命を絶つ。
3.夜になると娘の亡霊が現れ、皿を数える。
4.娘の祟りによって主家にいろいろな災いが起こり、衰亡してゆく。

以下、番町皿屋敷のお話です。

牛込御門内五番町にかつて「吉田屋敷」と呼ばれる屋敷があり、これが赤坂に移転して空き地になった跡に千姫の御殿が造られたという。それも空き地になった後、その一角に火付盗賊改・青山播磨守主膳の屋敷があった。ここに菊という下女が奉公していた。承応二年(1653年)正月二日、菊は主膳が大事にしていた皿十枚のうち1枚を割ってしまった。怒った奥方は菊を責めるが、主膳はそれでは手ぬるいと皿一枚の代わりにと菊の中指を切り落とし、手打ちにするといって一室に監禁してしまう。菊は縄付きのまま部屋を抜け出して裏の古井戸に身を投げた。まもなく夜ごとに井戸の底から「一つ……二つ……」と皿を数える女の声が屋敷中に響き渡り、身の毛もよだつ恐ろしさであった。やがて奥方の産んだ子供には右の中指が無かった。やがてこの事件は公儀の耳にも入り、主膳は所領を没収された。
その後もなお屋敷内で皿数えの声が続くというので、公儀は小石川伝通院の了誉上人に鎮魂の読経を依頼した。ある夜、上人が読経しているところに皿を数える声が「八つ……九つ……」、そこですかさず上人は「十」と付け加えると、菊の亡霊は「あらうれしや」と言って消え失せたという。

皿屋敷、有名ですよね。上田知樹も何度か聞いたことがあります。でも、「十」と付け加えると消えてくれるというのは初めて知りました(笑)面白いですね。

# by ue0315 | 2011-06-13 10:40 | Comments(1)

『マッピー』用ボーダー

怪談の歴史と上田知樹

こんにちは。上田知樹です。
今日も上田知樹が調べたことを書かせてもらいますね。
今回は前回に引き続き怪談について上田知樹が書いていきます。
怪談とは、怖さや怪しさを感じさせる物語の総称です。日本古来のものを限定して呼ぶ場合もありますね。中でも、四谷怪談・皿屋敷・牡丹燈籠の三話は日本三大怪談とされているのだとか。
怪談(スリラーや怪奇ジャンルの作品)は日本国内では通常「夏の風物詩」とされますが、近年は真冬の時期に放映や作品発表が行われるケースもあるようです。
元来、死に関する物語、幽霊、妖怪、怪物、あるいは怪奇現象に関する物語は民話伝説、あるいは神話の中にも多数存在するんですよね。
『今昔物語集』(「霊鬼」)など、平安時代末期(1120年頃)の古典文学にも多数の怪談が収録されていますが、それらを題材にしてまとまった形で残っている物では『雨月物語』(1776年)が有名です。また、四谷怪談(1727年)や番町皿屋敷(1700年代末)のように歌舞伎の題材にも取り上げられ、ひとつのジャンルを構成していました。現在の感覚における古典的な怪談はこれらに基づく物だそうです。また、落語にも怪談物があり怪談噺と言われるのだとか。
更に小泉八雲(ラフカディオ・ハーン、Lafcadio Hearn)は古くから伝わる日本各地の怪談や奇談を収集し、自らの解釈にしたがって情緒豊かな物語に仕立て上げ、『怪談 (kwaidan)』(1904年)として一冊にまとめてくれたそうです。
また、明治末期には、当時欧米で流行していたスピリチュアリズムの影響を受け、日本でも「怪談ブーム」が到来し、文学者たちが「百物語」を催したり、盛んに怪談の執筆を行っているようです。また、現在では「民俗学の原点」とされている『遠野物語』についても、話者の佐々木喜善・著者柳田國男ともに「怪談愛好者」であり、「怪談ブーム」の副産物として登場したものともいえるのだとか。
戦後は、新倉イワオが1968年に日本初の心霊番組を企画制作。後に昼のワイドショー『あなたの知らない世界』などによって1970年代の怪談ブームをリードしたみたいですね。新倉はその後も番組企画本など合わせて50冊余りの怪異譚を蒐集した著作を世に送り、大人が怪談を嗜むことを許容する社会環境と後年の素地を築いたそうです。また、1970~1980年代に活躍した中岡俊哉による児童向け怪談、1970年代にブームとなったつのだじろうの『うしろの百太郎』『恐怖新聞』などの恐怖漫画によって子供時代に恐怖・オカルトの洗礼を受けた世代が成長して、現在の怪談需要を支えているみたいです。
木原浩勝と中山市朗は、自らが体験者より収集した怪異譚の人名や地名を意図的にぼかすことによって取材ソースを秘匿し、「実話怪談集」というスタイルにまとめ、江戸奉行・根岸鎮衛による随筆「耳袋」になぞらえて『新・耳・袋~あなたの隣の怖い話』(扶桑社、1990年)として出版しましたね。この仕事は長く忘れられていたが、1998年に復活刊行され、2005年までの7年間に刊行され続けた『新耳袋』全十巻(メディアファクトリー)により「怪談」という日本古来のエンターテイメントの復権がなされることとなったそうです。
『新耳袋』の休眠期に当たる1991年~1997年には実話怪談集『「超」怖い話』(勁文社)が安藤薫平、樋口明雄の手によって編まれたのだとか。これは1998年の新耳袋復活と勁文社倒産の後も平山夢明、加藤一に引き継がれ、竹書房から刊行されている続刊は、新耳袋と並んで近代実話怪談のひとつの潮流となっているそうです。
近年では、タレント(現代における代表的怪談話者である稲川淳二による怪談は1993年頃から始まったのだとか)による現代の生活様式に合わせた怪談が語られているみたいです。また前述の新耳袋の著者である木原・中山は、新宿ロフトプラスワンにおいて定期的な怪談のトークライブを続けており、11年目を迎えた2007年には通算50回を超えたのだとか。
また伝統的な怪談の会のスタイルとして、百物語が挙げられますね。
怪談と都市伝説が混同されていることもあるようですが、現状では明確な公的な定義は共有されていないそうです。

怪談の歴史、興味深いですねー。怪談の歴史についてはあまり気にかけたことがなかったので楽しかったです。
それでは今日はこの辺で。上田知樹でした。

# by ue0315 | 2011-05-16 12:42 | Comments(1)

『マッピー』用ボーダー

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