2012年 05月 25日
上田知樹です。こんにちは。
今回も、僕、上田知樹が気になったことについてお話させていただきます。よろしくお願いします。
今日調べてみたのは、白いバラについて。
白いバラ(しろいバラ、Die Weiße Rose)は第二次世界大戦中のドイツにおいて行われた非暴力主義の反ナチス運動ですね。ミュンヘンの大学生であったメンバーは1942年から1943年にかけて6種類のビラを作成したそうです。その後グループはゲシュタポにより逮捕され、首謀者とされるハンス・ショルほか5名がギロチンで処刑されたため、7種類目の印刷がおこなわれることはなかったそう。彼らの活動を描いた映画が戦後何度かドイツで作られ、反ナチ抵抗運動として、国際的に知られているようです。日本では、白バラ、白バラ抵抗運動などとも呼ばれますね。
白いバラはミュンヘン大学の学生で構成されていたそうです。ハンス・ショルとその妹ゾフィー・ショルを筆頭に、他にもクリストフ・プロープスト、ヴィリー・グラーフ、アレクサンダー・シュモレルの3人の学生、およびクルト・フーバー教授らが活動に参加していたのだそう。
白いバラに参加した学生はフランス侵攻、東部戦線に従軍したドイツ陸軍の帰還兵だったみたいですね。ドイツ青年運動に影響を受けたと考えられており、ハンス・ショルとプローブストはそのメンバーだそう。彼らは、ポーランドのユダヤ人居住地区の状況や東部戦線における惨状を目にして、この戦争を受け入れることができず、さらにスターリングラードの戦いにおけるドイツ国防軍の敗退によりドイツの敗北を予感したそう。彼らはナチスのヨーロッパ支配を否定し、キリスト教の忍耐と正義を信奉していたのだとか。聖書、老子、アリストテレス、ノヴァーリス、ゲーテ、シラーなどからの引用が見られ、ドイツの知識階級の典型を表しているようです。リーフレットは当初バイエルン、オーストリアなど南ドイツを拠点に配布されたそうですね。これは反軍国主義のメッセージは南部においてより受け入れられやすいと考えていたためとのこと。
グループは、1942年6月から7月にかけて4種類のビラを作成し、郵便などで配布したようです。1943年に入ると、1月に5種類目のビラ「全ドイツ人への訴え」を作成して各地で配布したとのこと。さらに、スターリングラード攻防戦における1月末のドイツ軍降伏を受け、2月に6種類目のビラ「学友へ」が作成されたそうですね。いずれのビラも平易なドイツ語で書かれており、グループが広くドイツ国民に訴えかけようとしていたことが分かるそうです。
白いバラ、興味深いですね。
では今日はこのへんで。上田知樹でした。
今回も、僕、上田知樹が気になったことについてお話させていただきます。よろしくお願いします。
今日調べてみたのは、白いバラについて。
白いバラ(しろいバラ、Die Weiße Rose)は第二次世界大戦中のドイツにおいて行われた非暴力主義の反ナチス運動ですね。ミュンヘンの大学生であったメンバーは1942年から1943年にかけて6種類のビラを作成したそうです。その後グループはゲシュタポにより逮捕され、首謀者とされるハンス・ショルほか5名がギロチンで処刑されたため、7種類目の印刷がおこなわれることはなかったそう。彼らの活動を描いた映画が戦後何度かドイツで作られ、反ナチ抵抗運動として、国際的に知られているようです。日本では、白バラ、白バラ抵抗運動などとも呼ばれますね。
白いバラはミュンヘン大学の学生で構成されていたそうです。ハンス・ショルとその妹ゾフィー・ショルを筆頭に、他にもクリストフ・プロープスト、ヴィリー・グラーフ、アレクサンダー・シュモレルの3人の学生、およびクルト・フーバー教授らが活動に参加していたのだそう。
白いバラに参加した学生はフランス侵攻、東部戦線に従軍したドイツ陸軍の帰還兵だったみたいですね。ドイツ青年運動に影響を受けたと考えられており、ハンス・ショルとプローブストはそのメンバーだそう。彼らは、ポーランドのユダヤ人居住地区の状況や東部戦線における惨状を目にして、この戦争を受け入れることができず、さらにスターリングラードの戦いにおけるドイツ国防軍の敗退によりドイツの敗北を予感したそう。彼らはナチスのヨーロッパ支配を否定し、キリスト教の忍耐と正義を信奉していたのだとか。聖書、老子、アリストテレス、ノヴァーリス、ゲーテ、シラーなどからの引用が見られ、ドイツの知識階級の典型を表しているようです。リーフレットは当初バイエルン、オーストリアなど南ドイツを拠点に配布されたそうですね。これは反軍国主義のメッセージは南部においてより受け入れられやすいと考えていたためとのこと。
グループは、1942年6月から7月にかけて4種類のビラを作成し、郵便などで配布したようです。1943年に入ると、1月に5種類目のビラ「全ドイツ人への訴え」を作成して各地で配布したとのこと。さらに、スターリングラード攻防戦における1月末のドイツ軍降伏を受け、2月に6種類目のビラ「学友へ」が作成されたそうですね。いずれのビラも平易なドイツ語で書かれており、グループが広くドイツ国民に訴えかけようとしていたことが分かるそうです。
白いバラ、興味深いですね。
では今日はこのへんで。上田知樹でした。
# by ue0315 | 2012-05-25 12:32 | Comments(1)

